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2015年12月31日

1年を振り返って

いよいよ、今年も終わりです。

今年は、前半をタイで過ごし、後半は、大阪~バンコクの行ったり来たり。

ゲストハウスビジネスに始まりベストハウスビジネスに終わる1年でした。

ゲストハウスの方は、何かと世間が騒いでしまっており、賛否両論ありますが、
売上は、すべて外貨であるというところで外貨を稼いでいるという誇りと
彼らが気軽に来れるためにも必要なビジネスだと使命感を持って取り組んでいます。

日本のホテルではできない、得られないサービスの提供をできるように来年も一生懸命取り組みたいと思います。

新年は、早々7日~フランス(パリ)での飲食コンサルで1ヶ月ほどパリに住みます。

5日には、今里にてマルシェ横丁が日本の地域活性化、町おこしに乗り出します。

他にも色々と仕込んでることもあり、忙しい1年になりそうです。

いつも読んでいただいてる方、またコメントやいいねをありがとうございました。

来年は、ブログも頑張ります。

それでは、皆様、よいお年を!!  

Posted by ゼモグループ at 11:51Comments(0)人生

2014年03月05日

働く運命

目まぐるしい勢いの東京ビジネスツアーが終わり、バンコクへ戻ってきた。

今回の主目的であるアジア就職説明会の反響が結構あり、応募者からのメールが結構あり、パチパチ!

「あ!パチパチは、パソコン業務が忙しいという意味ね」

滞在期間、東京は、天気が悪く雨模様であったが、花粉症の僕には、ケロケロであったが、
やはりお外に出ると、鼻が、ムズムズ、目がしょぼしょぼであった。

「あ!ケロケロは、かえるは、雨が好きだから、雨を喜んでる表現ね」

今回は、東京だけの滞在であったのとレンタカーを借りていたこともあり、ほとんど飲酒をせずに
睡眠時間も良く取れて、バリバリであった。

「あ!バリバリは、元気で調子がいいという意味ね」

やはり睡眠は、大事だ!

バンコクは、花粉がないので、この時期は、日本には、帰りたくないのが本音である。

荷物を開けると鼻がむずがゆいのは、花粉を持ち込んだせいだろうか?!

バンコクは、バンコクでやる事山積み!

やはり俺は、働く運命なのだろうか?  

Posted by ゼモグループ at 19:36Comments(0)人生

2014年02月25日

ブログ、日々研鑽

ブログを書き出して、6年が経った。

昨年は、バンコクに移住し、生活環境の変化をいいわけに1年間サボリーマン、というか
他社の仕事をてつだっていたこともありサラリーマン化したせいか、ブログから遠のいた。

どうしても組織に属すると行動や思想を自分勝手に発表できない部分が出てくる。

ざっとFACEBOOKで書き込みが積極的な人は、
比較的自営業者やフリーランスの方が多いのがその事を物語る。

最近は、日々の事を書くのは控えて、自分のこれまでの体験談や人生観を中心に書くようにしている。

ブログを書くようになって、同じことをしていても
見るところや考える事が変ってきた自分に気づきます。

知らず知らずのうちに生活の中でブログネタ探しをしているのです。

今までは無言で目の前を通り過ぎていった事も、
そのことをテーマに自分の考えを思い浮かべたりするようになったのです。
もう47歳になったので、考えてみると何かにつけて、
自分の思想というものがあることにも気づくのです。

僕にとってブログは誰かに読んでもらう事よりも
自分自身の人生の足跡みたいなものをたどりながら、
新しいものを発見していくためにとても役立っているのです。

だから、僕のブログは、社長として、人間として、組織人として、
自分自身をを鍛えていくための道場なのです。  

Posted by ゼモグループ at 13:32Comments(0)人生

2012年09月30日

比較論で生きる人間

ほとんどの人間は、人生を比較論の中で生き抜き死んでゆく。

前の自分と今の自分。 他人と自分。 

物を見るのも、食べるのも今まで見た物、食べた物との比較検討をして評価している。

人の評価もたまたま横にいる部下同士を比較して評価したりする。

思考の多くは、過去の自分の経験と照らし合わせた範囲の中で組み立てられている。

最近、当たり前のそれが、実にくだらないことのように思えてならない。

年齢を積み、経験値が高まるとますます、比較検討の材料は増え、
人間は、自分の個性や好みの確率をしたがり、新しいものや
慣れていないものを拒絶するように思考が傾く。

一定の時期まで、僕もそれを良しとし、それが大人になるという事、
人格を形成するということだなんだと思いこんでいたが、
最近、そうではないと思うようになっている。

なにがそうでないのかの答えは、まだ見つかってはいないが、
物事の真理というものは、そういうちっぽけな人間の
思考回路の中には存在しえないのではなかろうか?

海外でいろんな全く違う世界で暮らし、働き、生きている
様々な人種の人達との触れ合いの中で、僕は、そんなことを感じていたんだ。   

Posted by ゼモグループ at 23:59Comments(0)人生

2012年07月10日

多忙な日々

ここ最近、とてつもなく多忙を極め、ブログもすっかりさぼりがち。

待ってましたと言わんばかりに、次々と新しいビジネスチャンスが
吹きあがり、研究と商談の毎日である。

思いついた事は、すぐ行動して情報をあつめ、1日も早く判断し、
次に向かいたいたちなので、課題が出ると寝る時間も惜しんでやってしまう勢いは、
20代から変わらない。

疲れこまないように日課のジムは何とかこなすようにしているが、
どうも痛めたままの腰が不調で、疲れが腰に来るような感じである。

肩こり、腰痛とは、無縁で人生を終えると思っていたが、なかなかそうもいかんようだ。

40代のニュービジネスには、自分の体との戦いもかなり参加してきよるなあ。   

Posted by ゼモグループ at 17:47Comments(0)人生

2012年07月03日

おばさんの思い出

先月の6月29日、叔母が亡くなった。

享年87歳であった。

危篤の知らせで、病院に駆けつけた時は、すでに意識はなく、
呼吸をするのが精いっぱいという状態であった。

近い身内の死で記憶にあるのは、おばあちゃんと今回が2度目である。

おばあちゃんの時は、小学3.4年かな? あまり記憶にないが、
「おかあちゃ~ん(涙)」と棺桶の遺体にすがる母の姿を見てもらい泣きしたのを覚えている。

今回は、母が喪主ということで、亡くなってからのお通夜、
葬儀などの打ち合わせに病院から自動的に紹介された葬儀屋と
初めてしたが、実に手間いらずの至れり尽くせりのサービスである。

近い身内だけの家族葬であったが、十分であった。

僕も死んだら身内だけに見守られて逝ければいいとつくずく思う。

未婚であった叔母は、幼少期の僕達兄弟をよく遊びに連れてくれた。

叔母さんの思い出は、なんといっても僕が6歳の昭和47年に上野動物園へ
パンダのランラン、カンカンが来た時に、見に連れて行ってくれたことだ。

ホテルニューオータニに泊まり、最上階の回転レストランや外人だらけだったことに驚いた。

バイキング方式での食事をしたのもこの時が初めてであった。

たぶん、この時のホテルニューオータニが日本で欧米式の
バイキング方式のレストランをした初めてであったのだろう。

後は、手先が器用で折り紙や編み物が得意で、折り紙は叔母から習ったおかげで、
僕はかなり高度な折り紙を折ることができる。

そんな中から一番お気に入りのカエルを折って、叔母さんの棺に入れてあげた。

自分に子供がいないのに僕達兄弟が大学を出るまでお年玉をくれ続けた叔母さん。

本当にありがとうございました。

天国で安らかにお過ごしください。   

Posted by ゼモグループ at 23:35Comments(0)人生

2012年04月06日

強い決意

おっと、4月は、初投稿が5日も遅れてしもた。

ブログも以前の「毎日必ず書く」から、今年は、「書ける時に書く」、
に方針を変えてからかなり横着になっている。

骨折、腰痛から始まって、足首の捻挫と怪我づいて、
ろくなトレーニングができていない俺は、近頃少しナーバスだぜ!

昨日は、朝稽古であって、この不調具合では、本来お休みも考えるとこだが、
今年は、年初に週1回の年間105日の朝稽古は、
何があっても休まないと決めているので、躊躇することなく参加した。

何事も強く決意しておくという事は、大事である。

迷いがなくなる。

ありがたいことに壮年空手家への師範代の配慮もあって、
そう怪我を悪化させることのない稽古内容にしていただけている。

行けば、何とかなるもんである。

出来ないは、できないなりに出来る事をする。

常に100%を意識しなくていい、人生は長い、70%、50%、いや20%の時もある。

そこでどうするかで、その人間の真価が問われるのではなかろうか?

そういう真価の自己確認が空手に限らず、何かを継続するということを
通じて出来るのではなかろうか?   

Posted by ゼモグループ at 01:19Comments(0)人生

2012年02月26日

71歳の母へ

今日は、母の71回目の誕生日祝いということで、久々に中華料理を食した。

26歳で僕を産み落としてから実に45年が経過した。

今のところの僕の人生で、最も長く付き合ってる人物である。

昔、まだ、実家にいたころは、家族で外食と言えば大体、中華か焼き肉であった。

中華、焼き肉は、外食の中で一番お値打ち感があり、
大人数でたくさんの種類を少しづつ食べるのに醍醐味がある。

母の注文の仕方はいつも豪快で、ポンポンと適当に考えて、注文しまくる。

それを僕達子供は、必死に食うというのが我が家の外食の構図であった。

家庭での経験は、そのままその人の常識となる。

見習ったせいか、僕も大人数で外食に出ると、適当に頼むで~~と、
当たり前のようにバンバン注文する癖がついている。

71歳になっても母は、その勢いのまま、コース料理を頼んでいるのにもかかわらず、
海老チリうまいやん、二人前追加、アワビの料理入ってないな~~2人前もってきて、
と、子供たちが皆40歳台になっていて、
自らも71歳であることを忘れているかのごとく注文する。

案の定、テーブルは料理の山と化し、黙々と食べて、
デザートを前にして、皆、満腹や~~もう食えん~~状態となった。

しかし、不思議とデザートは食える。

場所を変えてコーヒーでも飲もうか、というと、あかん、もう1滴も入らん、帰るわ。 

・・・・・汗。

古き良き日本の高度成長期に生きた母達の年代は、
食事は、豪快にたくさん好きなもんを腹いっぱいが、
幸せ感、おもてなしのバロメーターなのであろう。

まあ、確かにそうではあるが、これからは、健康のためにも量は少なめの食事で、
ゆっくりとした食事の時間と会話も楽しめるようになりましょうぞ!


       「女の一生」

20代は美しく    30代は強く  

40代は賢く     50代は豊に    

60代は健康に    70代はしなやかに 

80代はつややかに  90代は愛らしく  

そして いぶし銀のように 百歳へ

どうか、100歳まで生きてくだされ。   

Posted by ゼモグループ at 01:15Comments(0)人生

2011年12月30日

1年を振り返る。

今年の僕のプライベートは、空手に始まり空手に終わるの1年であった。

2月の試合初参戦に始まり、黒帯の昇段審査という二つの大きな山を越え、
結果的に黒帯に昇段する事ができたのが、一番の収穫だろう。

その間、日本には、未曽有の大災害が訪れ、政治、経済は、終始不安定な1年であり、
仕事上では、店長がクモ膜下出血で倒れるということもあり、
僕自身が肉体の限界ぎりぎりに挑む場面もあったが、一年364日、
休むことなくのれんをかけるということを今年もあと2日で成し遂げることができそうだ。

何事においても大切なことは、「やる」という決意だと僕は、常々思っている。

人間は、弱い生き物だから、決意が弱いと必ず強く引かれる誘惑に負ける。

誘惑に打ち勝つのは、自分自身の強い決意しかない。

強い決意は、健全なる肉体があってはじめて生み出せるものである。

この1年は、空手を通じて作り上げた肉体で、
一層強い精神力を身につけることができたと思う。

仕事、プライベートを通じて、今年も多くの方々のご指導、ご鞭撻、
御協力のおかげをもって、やり過ごすことができた。

ここに深く感謝したいと思います。   

Posted by ゼモグループ at 00:21Comments(0)人生

2011年12月16日

発想の転換

今年もあと半月となった。

僕の年末年始は、社会に出て23年相変わらずのお仕事である。

社会に出る前の両親が同じように働いていたので、
子供のころから正月気分というものには、縁遠い。

ある方が、そのことを、「御苦労さんです。」と言ってくれた。

言ってくれた人は、何の悪気もなくあいさつのように掛けてくれた言葉だと思うが、
これが当たり前の僕には、どうもピンとこない。

これって、御苦労なことなのか!?

むしろ、盆や正月のどこに行っても人だらけで、旅も割高な時しか休めない方の方がむしろ御苦労さんだと思う。

福沢諭吉も言ってるが、世の中で一番みにくい事は、他人の生活をうらやむ事です。

目線を少し変えるとこの世にうらやましいことなどありはしないということだと思う。

うらやむとは「心(うら)病(や)む」こ書くらしいので、
他人の生活をうらやむことの多い状態は、よくないことなのである。

同じようなことを示す言葉に「憧れる」というのがある。

うらやむは、卑下、苦悩を示唆するが、憧れは、向上心を助長する言葉である。

他人の生活をいいなと思ったら、是非、うらやまず、
憧れるという思いに変えてほしいと思う。

こういう地道な発想の転換で人生を前向きに明るく生きていきたいもんである。   

Posted by ゼモグループ at 02:29Comments(0)人生

2011年11月28日

次の挑戦

今日は、昼過ぎまで爆睡した。

起きても節々が痛く、珍しく疲労感が残っている。
土曜日の自主トレで久々にがっつり動いたのと、朝からの仕事が堪えたようだ。

こういう時は、少し休養をとは考えず、こういう時こそやると今日は、気持ちが前向きだ。

骨折の回復につれ、気持ちも前に向いてきた感じだ。

でも、関節が痛むので今日は、プールにてスタミナ養成、
いつもは500Mのノルマだが、今日は、久々に1キロにチャレンジ。

「きつい時こそ1歩踏み出せ!」という大山総裁の言葉が、
こういう時にいつも僕の脳にこだまする。

ペース落とすことなく20分で泳覇できた。

トライアスロンのショートディスタンスなら3種目のレース距離を短縮されていて、
スイム1.5km・バイク40km・ラン10km、合計51.5kmとした国際基準が
設定されているので、その気になれば、出れるかも知れないなあ、なんていう妄想を抱く。

今の自分の感じならショートでスタンスンなら完走できる気がする。

サスケへの目標を断たれ、さらなる目標を探す俺である。

空手道を追従していく形で、何か他のジャンルへのチャレンジもしていきたいのだ。

先日、行列のできる法律相談所でのトライアスロンへの
挑戦を見てやや感動したのが引き金かもしれない。

次に僕のハートを突き動かすものは、何なんだろう?   

Posted by ゼモグループ at 22:38Comments(0)人生

2011年11月09日

心 訓 に想う

当店のトイレには、福沢諭吉先生の「心訓」が飾ってある。

僕がまだ社会へ出て間もないころに南のとあるラウンジのトイレにその「心訓」は張ってあった。

母が、福沢諭吉の教えを崇拝し、兄も慶応大学に進んだこともあり、
僕はこの「心訓」に一目惚れした。

今のように簡単にネットで情報を引き出せる時代ではなかったので、
僕は、ママに頼んで、それをコピーさせてほしいと頼んだら、
まるでよく頼まれるかの如く、そのコピーは店に用意されていて、すぐに出てきた。

以来、僕自身の人生の教訓としてきたことの一つである。

当店でもたまにトイレから出てきて、あの文章コピーしてほしいという客がいる。

当然、当店にもすぐに渡せるようにコピーが準備されている。

僕は、これをほしがる人は、教養豊かな人だなあと心でふっと思うのであった。

ここに紹介しておきたい。


   心 訓

1.世の中で一番楽しく立派な事は一生涯を貫く仕事を持つことです。

1.世の中で一番みじめな事は人間として教養のない事です。

1.世の中で一番さびしい事はする仕事のない事です。

1.世の中で一番みにくい事は他人の生活をうらやむ事です。

1.世の中で一番尊い事は人の為に奉仕し決して恩にきせない事です。

1.世の中で一番美しい事はすべてのものに愛情をもつ事です。

1.世の中で一番悲しい事はうそをつく事です。

  

Posted by ゼモグループ at 01:18Comments(0)人生

2011年11月09日

祝婚歌

二人が睦まじくいるためには

    愚かでいるほうがいい

    立派過ぎないほうがいい

   立派過ぎることは

    長持ちしないことだと

    気づいているほうがいい

   完璧をめざさないほうがいい


   完璧なんて不自然なことだと

   うそぶいているほうがいい

  二人のうち どちらかが

   ふざけているほうがいい

   ずっこけているほうがいい

  互いに非難することがあっても

   非難できる資格が自分にあったかどうか

   あとで疑わしくなるほうがいい

  正しいことを言うときは

   少しひかえめにするほうがいい

  正しいことを言うときは

   相手を傷つけやすいものだと

   気づいているほうがいい

  立派でありたいとか

   正しくありたいとかいう

   無理な緊張には色目を使わず

   ゆったりゆたかに

   光を浴びているほうがいい

  健康で風に吹かれながら

   生きていることのなつかしさに

   ふと胸が熱くなる

   そんな日があってもいい

  そしてなぜ 胸が熱くなるのか

   黙っていてもふたりには

   わかるのであってほしい


吉野弘さんの祝婚歌、ふと思い出して、書いてみました。

  

Posted by ゼモグループ at 01:17Comments(0)人生

2011年10月26日

仁 愛

今日はお昼の番組で井岡弘樹、元プロボクシング世界チャンピオンが
出ていたので、少し見ていた。

種目は違えど、同じ格闘技を愛するものとして興味がある。

井岡と言えば、初のストロー級なるを制して、トレーナーのエディさん
との師弟関係で当時は、話題を独占していた。

今日は、そんなエディさんが井岡に教えたことで、
ええ話やなと思った事があったのでここに記して記憶する。

「ヘイボーイ(井岡のこと)、彼女をつくりなさいよ。

  勝った時に飛びついてくる女性は、だめだよ。

    負けた時、寂しい時に側にいてくれる女性を探しなさいよ」

・・・・・・・

人生には必ず浮き沈みがある。

一度でも好き会った二人が別れるのは、どちらかが沈んだ時だろう。

恋愛はともかくとして、長い結婚生活においては、
いい時ばかりでないはずだ。

そんな時に、本当に相手の側にいれる人。

そういうのを「仁」とでもいうのだろうか?!

仁愛ある人間になりたいと僕は常に思っているんだ。   

Posted by ゼモグループ at 23:43Comments(0)人生

2011年10月21日

贈る言葉

「明日、死ぬと思って今日を一生懸命生きなさい。

  永遠に生きると思って、よく学びなさい。」


余命半年の宣告をうけ、延命治療は一切せず、
仕事をしながら死と向き合ってる俳優入川保則さんが息子の結婚式で贈った言葉だ。

性格にはもう少し長かったが大体、こんな感じの内容であった。

なかなか深いと感心した。

確かに余命がわかると1日1分1秒を大切にするだろうし、
やり残したことをしようとするだろう。

逆に近いうちに死ぬとわかると学ぶという意欲は出ないかもしれない。

つまり、学は、将来の幸せのために。。

一生懸命は、期限付きの方がやる気が出るということだな。

延命治療をしなかったおかげで、余命の半年をすぎても元気に仕事ができている。

僕も死ぬのがわかったら、延命治療の悪あがきはしたくないな。

明日死ぬと思って、日々を後悔なく過ごし、永遠に生きると思って日々精進しよう。

入川さん、いい言葉をありがとう。   

Posted by ゼモグループ at 02:23Comments(0)人生

2011年08月09日

淡い青春恋物語

今日は、早い時間に上品な女性が一人カウンターに座った。

その雰囲気というか出で立ちから地元の人でないことは、すぐにわかった。

僕は、ホールにいて、横から接したので最初は、顔はよく見えなかった。

彼女は、冷酒とはもちりをオーダーした。

しばらくして、僕は、カウンタースタッフと交代してカウンターに立った。

正面から彼女の顔を見ると、どこかで見た事があるような気がしてきたが、
まったく思い出せない。

僕がチラチラ見ていると、彼女の方が、耐えきれず笑みを浮かべた。

僕はその笑みを見て、ピンときた。

その子は、僕が高校~大学にかけて、モーションを掛けていたが、
お付き合いには至らなかった女性であった。

話すうちにだんだんと色々思い出すが、僕の記憶は例によって、曖昧で名前は出てこない。

今だから話せる事だが、彼女も当時は、僕に思いを寄せてくれていたようだった。

当時の彼女はまだ高校3年で、僕は大学生になりたてで、
女性との交際経験もなく、その恋は、うまく実らせられぬままの
淡い純愛であった。

当時は、僕も今のようなちょい悪親父の面影はないケツの青い青年。

貞操観念の強かった彼女との恋をどう進めればよいのかわから
ぬままの自然消滅だった。

彼女は、その後つきあった人と結婚し、今では2児の母となり、
幸せを掴んでいるようだった。

生涯、悠一つきあった一人と結婚したらしい。

まあ、いうなれば、俺は前座みたいなもんであった。

当時は、くったくない笑顔のかわいい女の子であったが、
今は、素敵に年を重ねたいい感じの女性になっていた。

やはり俺の女を見る目に狂いはないな。

話しているうちにお客が入り、混んできたので、
彼女は、気遣って、「またくるね、今度来るまでに名前を
思い出しておいてね」と言って、帰っていった。

記憶の彼方に消えかかった人とこうして再開し、
幸せになってくれているのを知るとなんだか心温まる。

お互いに連絡先などを聞く事もせず、
淡い青春の思い出の一コマを楽しんだ二人であった。   

Posted by ゼモグループ at 20:07Comments(0)人生

2011年06月28日

久々の嬉しい出来事

以下のブログは、昨年私がタイのアユタヤ遺跡を訪れた時の事を書いたものだ。



   「世界遺産 アユタヤ」2010年9月6日

正直、タイに行くことになるまで知らなかった。

一応、押さえておくアイテムらしく今日も朝6時20分集合で、お出かけ。

朝食が6時~だから20分でかきこんで、集合場所へ、
なぜか今日は、ふと、おやつ用にドーナツを3個拝借してカバンに入れた??

アユタヤは、川の中州で栄えた村で、主に川を使った貿易で栄えたらしいが、
今は、高い塔はくずれて、たくさんある仏像は、ほとんど首がない。

ビルマ人が侵略の際に首だけ取っていたらしい。

立派にそびえる3つの塔も当時は、は金箔が貼られていたらしいが、
はがすために火をかけて溶かしたため、今は表面は、
漆喰がむき出しで所々に焼け跡が黒く残っている。

村全体は、侵略されて滅んだ、なんともいえない哀愁が漂っていた。

何分一人旅は、写真が困る、僕は、一人旅の人を見つけては、
お互い取り合いしましょうと声をかけるのだが、ここアユタヤでも一人の若者に声をかけた。

写真の後、旅はどうですか?と聞くとしょんぼりモードで、
「昨日スリにあったんです」と語り出す。

外人のカップルに話しかけられすっかり意気投合、仲よくなった際に、
日本円を見せてほしいと言われる。
すっかり油断して、1万円札のみを見せるとすぐに返してくれた。

今度は小銭を見せてほしいというので、財布ごと手渡して、
目の前で中を見ていたが、これもすぐに返してくれた。

彼らとバイバイした後、財布を覗くと、なんと2万円がなくなっていた。

話に気を取られてる一瞬の隙に抜かれたのだ。

また、現地のツアー会社のツアー内容は、移動などのオプションが多く、
余計な出費もあり、今は、ほとんどお金がないという。

仕方なく、今日は自転車で観光だとか。

最初は、怪しいやつだな~~と思ったが、色々聞いてるうちに不憫になり、
帰り際に、僕は1万円を貸してあげた。

まあ、もしかして僕は騙されたかもしれないが、
それもまたよし。

しかし、侵略され滅びた哀しいアユタヤの遺跡が僕を少し情け深い男にしたのか?!
僕は、彼の言う事を信じたい気持ちになったのだ。

そして、そう、今朝、ふとかばんに入れたパンの事を思い出し、
お前の出番は、こんなとこに待っていたのだ、さあ出ておいで。

僕は、そのパンも彼にあげた。

一人旅ならではの旅の珍事であった。

・・・・・

この彼とは、あるSMSを通じて、その後もたまに、連絡を取り合っていたが、
今日は、友達3人と僕の店に来てくれた。

東京に住んでいるのだが、明日から南港発の船便で中国へ発つらしい。

10カ月ぶりの再開であったが、とても元気で、あの旅に懲りずに、
今度は大学を休学して、半年も中国を一人で放浪するらしい。

ほんの一瞬の旅の出来事が生んだ出会いであったが、
律義に顔を出してくれた事が僕はとても嬉しかった。   

Posted by ゼモグループ at 01:03Comments(0)人生

2011年06月20日

父の日の悟り。

今日は、父の日である。

僕の父は、現在70歳で、昨年古希を迎えている。

今、ざっと計算してみると、僕が社会に出た22歳時は、父は、49歳であり、
僕はもうすぐその年に届こうとしているから月日が経つのの早いこと。

父は、17歳で社会にでてからは、仕事づくしの半生で、とりわけ、この道に入ってからは、
1年365日のうち360日は、現場に立っていて、
「寝て起きちゃ仕事、寝て起きちゃ仕事」と口癖のように言っていた。

そういう姿を見続けたせいか、僕は、寝てる以外は働くのが普通だと思って育った。

自分の趣味などに時間を労する事もなく、仕事だけをする働きアリのような人であった。

一時期は、兄弟4人が大学生という家計事情もあり、
疲労とストレスの中でぎりぎりまで肉体を酷使していたのだろう。

「わしゃ53歳で死ぬからな」が口癖であった。

53歳の根拠は、父の母親がその年齢で亡くなっているからだそうだ。

戦後に生まれた多くの人は、皆さん、いや、政府すら、
こういう感覚を持っていて、80、90の寿命や人生は、
誰も想定していなかったのだ。

そう考えると昨今の健康志向も手伝って、僕の高齢期には、
100歳寿命が当たり前の人生設計が妥当だと僕は常々考えている。

僕が社会に出て4年で父は、自身が想定していた寿命を迎えたが、生きて元気に働いていた。

飲食店の主人に多いのが死ぬ前日まで現場仕事をして、生涯現役というパターン。

生活の事もあるのだろうが引き際がわからぬまま、
引退してもすること、したいことがないゆえ、また定年もないので、
ずるずる死ぬまで働き続けるのだ。

僕は、自分の父にそういう人生を歩んで欲しくないと考えていたので、
1日でも早く会社の全ての事ができるようになる事に執着しがむしゃらに働いた。

そして、僕が社会にでて4年目、父自身が想定した寿命の年,53歳の時に、
2泊3日の有馬温泉の旅をプレゼントした。

父は、機嫌よく出かけ、返ってきたときに、「もう、店には、出なくていいから」
と引退勧告をしたのだった。

親父のほうも息子と同じ仕事場に立つ事をあまりしたくなかったようで、
「そうか」と言って、すんなり隠居生活に入ってくれた。

隠居後は、無趣味だった親父だが山歩きや自転車でのポタリングを趣味として覚え、
もう17年、現場にいたときより健康で第二の人生を楽しんでいるようだ。

たまに会うと「こんな素晴らしい人生があるとは、夢にも思わなかった」
と言ってくれる。

僕は、それだけで満足である。

先日は、僕が大通りを歩いていると、向こうから必死に自転車をこいでくるおじいちゃんがいる。

どんどん迫ってきた。

親父であった。

親父の方は、僕の存在には気づかず、僕の真横を疾風のごとく通り過ぎた。

話では、1日30キロ~50キロを自転車で走るらしい。

~~むむむ、、あと20年は、生きよるな・・・。

すれ違いざまの疾風が僕にそのことを悟らせた。   

Posted by ゼモグループ at 01:32Comments(0)人生

2011年05月18日

My birthday

その事件は、今から45年前の今日起こった。

浜寺に住んでいたその女性は、突然、陣痛を訴えて、救急車に飛び乗った。

彼女が目指す病院は、聖バルナバ病院、管轄が違うということで、
大和川の橋の上で、救急車を乗り換えさされる。

この時点で、辛抱が限界を超え、今にも生まれる~~!

病院へ着くなり破水したかと思うと、その子は、この世に現れた。

1966年5月18日、泰士、誕生。

人間の体は、大事使えば、100年は使える。

せっかくもらった命である。

大事に使うべく、僕は人生100歳を想定していて、
元気年齢を90歳と設定してる。

ついに折り返し地点に来た。

41歳から肉体改造生活を初めて4年。

現在、身長176センチ、体重68キロ、胸囲107センチ、
ウエスト83センチ、ヒップ91センチ。

裸眼視力は、矯正手術を受けて、左右、1.5に回復。

左耳の軟調も鼓室形成術を受けて破れていた鼓膜を再生して、正常に戻っている。

健康診断における検査データは、全て正常値。

精神状態はすごぶる健全である。

やや医学の力を借りながら、90歳までの元気人生の下地はできてきたと自負している。

あとは、癌の危険性だが、これは、もう、交通事故と思って諦めよう。

あと、45年は、大事に使って、もうちょっとおもろい事にチャレンジするぜ!!。

  

Posted by ゼモグループ at 22:56Comments(0)人生

2011年01月02日

364日の営業

昨夜は、昼から実家に出向き、年玉をばらまいて、1日中飲み食いをした。

今年は年末に氷見の11Kの天然ぶりが入ったので、造りで食べたが最高にうまかった。

稽古のおかげか、お酒を飲んでもすぐに酔いが回復する。

生まれて44年、元旦は家族で過ごすというしきたりを守り続けている。

お腹がやや出てきて、体重も70Kの大台に乗ってきた。

トレーニングなしでまともに食べるとすぐに体重が増える。

30日の稽古納めから、トレーニングなしの生活は、
3日しかたっていないが、体がなまってる感、満載である。

昨年は、365日中、イタリアの2カ月60日をのけると、
305日中250回は、朝稽古かジムにかよった。

完全に日課にすることができた。

ジムは、明日からスタートで、朝稽古は、4日からである。

初仕事は、今日の昼から始まっている。

何事も「初」という響きは、心新ためる感じでよい。

本日からまた、364日の営業と人生の修行が始まる。   

Posted by ゼモグループ at 15:19Comments(0)人生