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2017年03月01日

知らぬが仏

この世の中には、知らなくてよい事を知りたがる人間がとかく多い。

自分の人生における周辺環境のことを全て知る事が果たして出来るのだろうか?

答えはは、NO、である。

ちょっとしたきっかけで気になった事が知りたい欲の対象になるだけで、知らない事の方が実は多い。

そのきっかけを探り出す事で幸せになるだろうか?

答えは、NO、である。

知らなくていい事を知る事の先には、あまり幸せはない。

この世のケンカや離婚は、概ね知らなくても良い事知る事から始まる。

不幸の始まりである。

知らなければいけない事は、探らなくても自然に知る事になる。

それだけを知ればいいでのである。

知らぬが仏。

先人からもっと学ぶべきである。  
タグ :知らぬが仏

Posted by ゼモグループ at 01:12Comments(0)教訓

2016年03月31日

謙虚と感謝

えらいこっちゃ~~!  

せっかく再開したブログが2月中~また停滞してしまった。

3月は、この月末の土壇場で1回のみ、、とほほ、、

この1ヶ月は、移動も多くやや忙しすぎた。

最近、周りの人は、一定レベル以上(何がかというと社会的な地位とか経済力)の方とつき合う事が多い。

大阪での小商売人時代の僕は、市場や調理場で肉体労働者階級との付き合いが多かったので、そのギャップがある。

一定レベル以上の方々と話したり、いわゆる先生と言われるような方の口からは、
やたら、謙虚、感謝が大事だという話が出る。

確かに豊かな社会で一定レベル以上の人達とのおつきあいの中では、とても大切な事であり、
自身の成長のためにもとても大事な要諦であると私も理解している。

しかし、、無から有を生んでいくようなサバイバルなビジネスの一線において、
はたして、それらは、どこまで役立つものなのだろうか?

かつて人類は、狩猟生活の時代が長く、今の遺伝子の基礎は、この狩猟時代に作られたと言われてる。

目の前にマンモスが現れた時に、謙虚に、お先にどうぞ!!としていては、エサにありつけない。

やはり貪欲に、根性と勇気を持って、我、先に前に飛び出し、
マンモスを倒したやつが英雄になるのではなかったのだろうか?

スポーツの世界では、どちらかというと意地悪な人を押しのけていくようなやつが勝ったりもする。

今の豊かな経済環境では、根性や勇気が謙虚や感謝という言葉に置き換えられているような気がするが、
実は、それらを乗り越えた一定レベルの方達が、支配をしやすくするために、
周りの人間に謙虚と感謝を啓蒙してるのではないだろうかとも思うのです。

謙虚で感謝のある人は、扱いやすいからね。

日本人同士は、それでもいいけど、今やビジネスは、グローバル化が止められない。

世界のビジネスは、戦いである。

喰うか喰われるかのサバイバルです。

謙虚、感謝なんてことを若いもんに啓蒙しすぎるから、おかまい無しのサバイバル中国人にやられてしまうのです。

若者は、もっとサバイバルに、生意気くらいがちょうどいい。。  

Posted by ゼモグループ at 14:08Comments(0)教訓

2016年02月24日

冷めたコーヒー

僕は、冷めたコーヒーが好きである。

少しぬるいではなく完全に冷めたコーヒーだ。

うちのメイドは、コーヒーをしばらく放置しておくと、片付けてしまうが、
僕は、それを制して置いとかせる。

「コーヒーは、熱々でなないと」、と父もぬるいコーヒーを出された喫茶店で、よくぼやいていた。

確かに入れるときは、熱いお湯でないと粉っぽい感じが出るのでいただけないが、
実は、コーヒーは冷めた方がうまいし、冷めてもうまいコーヒーが豆である。

料理人だった僕は、毎日厨房に立つ。

仕込みが終わるとホッと一息してコーヒーをいれる。

熱々の一口目は、寒い底冷えのする厨房では、格別だ。

大抵,熱々で飲み干す前にお客が来だして忙しくなるので、
そのコーヒーは、放置される。

大体、コーヒーを入れて油断すると客がくるというジンクスもある。

忙しいときは、厨房は戦争と化す。

忙しさが一段落すると、放置されたコーヒーに目がいく。

最初は、もったいなからと吞んでいたが、やがてそれが習慣となり、冷めたコーヒーのうまさに気づく。

そして、もう一つ、冷めたコーヒーは、店が繁盛した証しでもあるので、
そのうまさは、頑張ったご褒美的な味もする

何でもそうだが、熱い、冷たいは、人間の味覚を麻痺させるので熱い、
冷たいという温度の味わいはあるが、本来その素材の味は、かき消される。

素材の味を知るには、本当は、常温が一番いいのだという事も冷めたコーヒーが教えてくれる。  

Posted by ゼモグループ at 16:42Comments(0)教訓

2016年02月16日

罪なき鳩達

プールで泳いでいたら、鳩が二羽プールサイドに水を飲みに飛んできた。

僕は、無意識に水をかけてみたら、さっと逃げていった。

逃げる鳩達に,一体何の罪があるのだろう。

強いて言うなら,このプールサイドにとまり、たまたま僕がいた不運。

人生にたとえてみるとどんな所にとまるかは、とても大事。

水をかけられるか与えられるかは、実は、運次第かもしれない。

ナポレオンは、成功のためには、健康、運、根気が必要だと言ったらしいが、
今の世の中の止まり木は、職業だとすると、職業選び、会社選びは、運命に影響する一大事なんでしょうね、、

運の操作は、難しいかもですが、健康で根気よく働いていれば、やがて運がやってくるのかもしれないね。

僕が無意識に水をかけたのは、このプールの水は、少し塩素がきついから。

今日の鳩達は、運がよかったのかもしれないね。  

Posted by ゼモグループ at 20:25Comments(0)教訓

2015年03月19日

言葉の重み

私が海外で働くようになってから早いもので、丸2年が過ぎた。

組織に属していることもあり自由奔放なブログを書けなくなった事が原因で、
ブログを中止していたが、やはり自身のためにも少しずつ復活して行こうと思う。

今日は、海外で働く上での管理職の目指すべき事について触れてみよう。

同じ言葉でも、それを誰が言ったかによって重みまったく違います。

企業においては、いわゆる「デキる社員」の意見にはやはり重みがあり、
管理職としては耳を傾ける価値が十分にあります。

「デキる社員」とは言うまでも無く、

パフォーマンスの高い社員。

報連相がしっかりできる社員。

報連相が信用を作る第一歩なのに、意外と30代、40代の人間でも出来ない人が多いのに驚かされる。

デキる社員は、報連相がちゃんと出来る。

デキない社員は、報連相がちゃんと出来ない。

と言い替えてもいいぐらい報連相は、組織の中で重要な事である。

また、与えられた職務、そして目標に対し、期待以上の結果を出し続ける社員。

結果を一瞬でなく、「出し続ける」のがデキる社員です。

例えば、、、
出来る社員A 「社長、我社も週に1回ノー残業デーを導入しましょう!」

社長(ふむ、なるほど。みんな頑張っているし、A君が言うのも一理あるな、、、)
となります。デキる社員の主張は、正統な意見として非常に説得力があります。

しかし、、、
デキない社員B「社長、我社も週に1回ノー残業デーを導入しましょう!」
社長(いやいや君、結果も全然出せていないのに、何を楽することばかり考えてるの?)

出来ない社員の主張は何とも説得力に欠け、単なる愚痴やワガママにしか聞こえてきません。

まともな経営者であれば「君、自分の義務も果たさずに権利ばっかり主張しちゃいかんよ」
となるでしょう。

話は逸れますが、採用面接においてやたらと
「有給」「福利厚生」「昇給」、、、 このあたりを気にする方がいます。

一番重要なのは職務内容や会社の雰囲気、そして自身の過去の経験を踏まえた上で
この会社にはどういう貢献ができるのだろうか、という事なのにもかかわらず、、、

採用すらされていない段階で、権利部分ばかり主張する社員は、私の経験上仕事が
出来ない方が多いです。

仕事も頻繁に変わっており、退職理由は全て「会社・環境のせい」にしがちです。

本人は一生懸命に自分の正当性を主張するのですが、すぐにボロが出ちゃいます。

この言葉の「重み」「説得力」に関しては、管理職においては尚更で、自分が思っている以上に
部下は遥かに上司のことを非常に厳しく常日頃から観察しています。

「仕事ができない」「話を聞いてくれない」「私たちのほうが一生懸命働いている」に始まり、
「日本語できる社員をエコひいきしてる」「上司にはペコペコ、部下に威張っている」、
更には「たばこ臭い」「お酒臭い」「ケチ」「シャツがヨレヨレ」「ダサい」等々、、、

挙げればキリがありませんが、中には「おい、おい!そこまで言うの?」「仕事と関係ないやん!」
と上司としては言いたくなりますが、こういう部分までしっかり「観察」されていると認識すべきです。

これらの上司の日頃の何気ない言動からの評価が、いざという時或いはここぞという時に、
「あなたに言われたくない」「言葉が薄っぺらい」というような感情に繋がり、
部下のパフォーマンスに大きな影響をおよぼしたりします。

いや~、厳しいものです、、、^^;

「人生に何一つ無駄はない」 by オリンピック金メダリスト

「人生に何一つ無駄はない」 by 38歳ニート

う~ん、言葉は不思議です。

言葉に重みのある人間になるため、外国人管理職である我々は、日々精進し続けなければいけませんね、、、  

Posted by ゼモグループ at 04:13Comments(0)教訓

2014年03月03日

サービスの心得

今日は、私は、完全OFFにしてホテルに引きこもりである。

久々に自然に目が覚めるまで寝たので気分は、快調だ。

ここ最近、休む間と寝る時間も少ない状態で働き詰めだったので、ややストレスがたまったのか怒りっぽくなっていた。

おかげで、ここ1週間で激怒することが2度もあった。

一つ目は、先日、立体駐車場で車を止めて出てきたら、だいぶ車からはなれてから、
ガレージマンの若い子がサイドミラー締めてくださいという。

急いでいた事もあり、むっとした僕は、「車から出る前に言わんかい!!」と怒ると、
「出てから自動でしまる車もありますので、」と言い訳。

「あのな~~、客が怒ってるんやから、まずは、すみませんとちゃうんか!」というと、

「アナウンスでもサイドミラーを締めるように流れています。」とさらにいい訳。

「そんなもんいちいち聞いてるか~~、お前何のためにそこにおるんや!

そういうのを最終チェックするんがお前の仕事とちゃうんか~~!」

とさらに声がおおきくなり、

「客が怒ってるんやから「すみません」ですむはなしやろが~~~何、いい訳ばっかりかましとんや!」

と怒鳴ると、

顔はぜんぜん反省せず「どうも、すみませんでした!」と言いよった。

一方、今、私は、都内の一流と言われる老舗ホテルに泊まっておるが、
ここのスタッフは、明らかに私の確認不足であった事に対しても、まずは、申し訳ございませんと言ってくれる。

どんなに怒っていても謝罪から始まれば、そうエスカレートすることはないが、
いきなり言い訳をされると怒りに拍車がかかってしまう。

「お客様は、神様です」と誰かが言っていたが、サービス業を営む以上、
お客様はわがままで、お客様の言う事は、正当であるという原点を忘れてはならない。

先のゲレージの話でも最初に「申し訳ありませんでした。」という簡単な接客用語をつかえば、何の問題もなく終わった些細な事である。

ちょっとバイト風の若い子で、サービスのいろはが分かっていない未熟者風であった事もあり、
ついつい、よけいな説教に時間をさいてしまったが、これも少しのストレスのせいかしら?

しかし、僕の説教で、いろんな人がいる事をあのバイト君が勉強できたら、まんざら無駄な事でもなかったかな?!  

Posted by ゼモグループ at 00:23Comments(0)教訓

2014年02月27日

報告の仕方

飲食店の業務において、

「まだかなりあると思います。」

「だいぶ減ってきています。」

「予約は確か6時だったと思います。」

良くこんな報告を平気でする馬鹿者がいます。

「かなり?」「だいぶ?」⇒一体どれくらいやねん。

「だったと思います。」⇒君は、大切な予約の事を思うだけで確かめないで心配ではないのか?

「かなり」とか「だいぶ」とか「だったと思う」なんて形容詞は、ビジネスには、邪魔である。

あなたの「だいぶ」と私の「だいぶ」は感覚が違う。

正しい報告は、「在庫は30本あります」。

「予約は6名です。」である。

料理の分量も「7貫でこれくらい」とかではなく明確に「7貫20G]である。

正確に把握できてない事は、あいまいな報告をせずに、
わかりませんんで、すぐに調べてから報告しますと言った方がいい。

社会で働く上で常に意識しないといけないのは、「数字である」

料理の分量、在庫管理などはもちろんの事、何でも数字で把握し、
数字で報告できるように努めるべきである。

「かなり」「だいぶ」などの形容詞や「と思います」なんて逃げ道を用意した言葉使いは、
一つ一つの業務に真剣に取り組んでいない現われであると私は思ってしまうのです。  

Posted by ゼモグループ at 03:17Comments(0)教訓

2014年02月26日

おかんの教え

高校時代、週末は、家業の飲食店の手伝いをしていた。

友達も色々なバイトをしてる。

定期テスト1週間前になると友達は、バイトを休むという。

私は、定期テスト前であっても仕事は休むものではないと思っていたし、休む事はなかった。

あるとき、日曜日を挟んで、土、月、火という3日間のテスト日程が組まれた。

さすがに一夜付けが得意の僕は、月曜日のテスト前日に遅くまで店で仕事は、一夜付けの時間がない。

さすがにおかんもテスト前日は休ましてくれる祖谷楼と思い、勇気を出して、おかんに言う。

僕:「おかん、今度のテスト期間は、日曜日を挟むから、日曜日の   仕事を休んでもいいか?
   友達は、テスト1週間前は、バイトを休ましてもらってるみたいや」


おかん:「そのテストはいつから決まってたんや?」

僕:「だいぶ前から決まってる。」

おかん:「お前が週末は、店を手伝うことは、いつから決まってるんや?」

僕:「ずっと前から決まってるし、やってる。」

おかん:「両方とも前から決まってるお前がやらなければならない事やな! 
    前もって計画たてて、勉強しとかんかい!」

僕:「な!!なるほど!!」

この時から、僕は、自分がやるべき事は、いかなることが起こってもやり通さなければならない。

そのためには、予測と計画をしっかりと立てて行動しなければならないという事を知りました。

経営者となってアルバイト学生を使うようになった僕のとこに、
「テストがあるのでバイトを休ませてください」
という事を当たり前のように言いにくる子がいます。

テスト前にバイトを休むのは当たり前の事なのだろうか?

僕が親なら僕が学んだこういう話もしてあげたいけど、そこまでその子の人生に責任がある訳でもないし、
あまり厳しい事を言うと親が怒って辞める事になる事もままある。

「そうか、わかった勉強がんばりや!」といいながら、何か教えなければならない大事な事を教えずにその場をやり過ごしてしまってるような気分になる。

たとえ学生であっても社会で働く以上、その責任の重さをバイトのうちから親が教えてほしいもんですね。
  

Posted by ゼモグループ at 01:56Comments(0)教訓

2012年11月13日

自 信



今日は、新規事業の立ち上げで、提案した内容で若いスタッフが、
今までしたことのないことに自信がないと言って尻ごみしている。

おいおいちょっと待ちなさい。

新しい事をするのに最初から自信のある人などいるのだろうか?

自信を辞書で引くと、「自己を信頼する気質、徳目」とある。

自信というものは、やって行く過程で身につけていくものであり、
やりもしない段階であるなしを思案するものではない。

事業において、投資をしたり、大きなリスクを背負っていく場合、
自分がやり遂げる事ができるかどうかという面に関しては、
思案する場面も出てくるだろうが、これから社会で自己実現しようとする若者が自信がないなどという思考で思案するべきではない。

自信のあるなしは、できるできないではなく、今できないことでも、
できるように訓練する、勉強するということの継続をするということを
自分自身に誓えるかどうかということである。   

Posted by ゼモグループ at 03:51Comments(0)教訓

2012年04月24日

成幸の思考

今日は、自宅の空調のメンテナンスの日で、昼から業者が出入りしているので、
僕は、旅の準備をしながら、自宅待機である。

自宅は、5階建てのビルになっており、エアコンは、各部屋にあり、室外機は屋上にある。

エレベーターなる文明の力はなく、業者さんは、行ったり来たりではーはーいうてる。

「ええ足の運動なるでしょう!?」

と僕は、声をかけたりすると苦笑いが返ってくる。

仕事をして給料をもらって、汗を出し、足腰を鍛えられるんだから実にラッキーである。

と思える人は、100人中何人いるだろうか?

僕的統計学によるといいとこ10人くらいである。

自分がしなければならないことをどう受け止める?

いやいやするか?!

喜んでするか?!

そんなところに人生の成幸の秘訣が転がってるような気がしています。

ここで一句

「現代は お金を払って 汗をだす」

昔は、汗を出して働いたらお金がもらえたけど、
現代は、ジムに会費を払って汗を出す時代だからね。   

Posted by ゼモグループ at 17:09Comments(0)教訓

2012年02月10日

押忍の心

僕は、過去のブログで、恋愛においてのタブーを以下の3つと書いたことがある。

一つ、追求しない。

一つ、要求しない

一つ、拒まない。

多くの恋愛関係や結婚生活に終止符を打つ原因の多くは、
どちらかがこのうちのどれかを犯した時に起こる。

ご自身の過去を振り返ると「確かに」と思い当たる節があるのではなかろうか?


空手のあいさつに「押忍」というのがある。

押忍の意味は、忍耐、感謝、尊敬である。

空手道を継続していくには、この3つの心がとても大切であると最近、痛切に感じる。

実にうまくまとめていると感心する。

空手道に限らず、何かを継続するには、この3つの心がとても大切です。

先に書いた恋愛のタブーとも実にリンクする。

追求する心には、尊敬がない

要求する心には、感謝がない

拒む心には、忍耐がない

ん~~、実に深い

人間関係で悩んだら、自身の心をこの3つの心と照らすことをおすすめします。

                   押 忍

  

Posted by ゼモグループ at 21:57Comments(0)教訓

2011年10月28日

心の傷

人は、だれしも、大人の階段を上る途中において、
たくさんの傷を心に負う。

その傷は、縫うごとに硬くなり、やがて、信じる心や素直な心が、
傷口の完治とともに堅くとざされていく。

それは、だれもが経験していく、大人への階段であるが、
それらを乗り越え、なお素直に人を信じる心を持ちつづけられる人は、
相当な大物かバカである。

私の愛読書「空手バカ一代」がアニメ化された時の主題歌にも、
そのことと似たものが、盛り込まれている。

少年のころは、意味もわからず口ずさんでいたが、今思えば、なかなか深い歌詞であった。

「醜い利口に~なるよりも~♪ きれいなバカで~生きてやる~♪」(空手バカ一代歌詞より)

大山総裁は、バカを乗り越えた大物であることに間違いはない。

バカも徹すれば、大物になるということだな。

ここで、川柳を一句。

「何事も  中途半端が  怪我の元」 


  

Posted by ゼモグループ at 01:44Comments(0)教訓

2011年07月19日

サウナおやじの信仰

数ヶ月前から僕がいく時間には、
必ずサウナの片隅を陣取っているサウナの主の姿が見当たらない。

自称サウナ歴50年のおやじで、サウナと水風呂の時間は、誰よりも長い。

サウナで会うたびにニュージャパンから始まった
自身の50年のサウナ武勇伝を語ってくれていた。

存在が気になっていて、仲良しさんに聞いてみると、
このジムからの帰りに自転車で転倒し、骨折したというのだ。

・・・。

そんなサウナおやじと数日前にサウナで見かけた。

恰幅の良かった出で立ちは見る影を潜め、痩せて、皮がたるみ、
杖までついて、よたよた歩いている。

サウナ時間もすっかり短くなり、僕よりあとに入っていては、僕より先に出てしまう。

よたよたで入ってくるので、もしサウナ内でこけたら大変なので、
サウナ内に一人にするのにとても気を使う。

それにしても彼のサウナへの執着心は何なんだ!?

普通は、あの状態では、サウナは、はいらないけどな!?・・・
っていうか入ったらあかんやろう~~というくらいだ。

たぶん、長年の健康を維持してきたサウナに新たなる元気を求めているのだろう。

強きもの、それは信仰心である。

歳をとってからの事故は、軽いもんでも後のダメージが大きい。

明日は我が身と思って気をつけよう。

  

Posted by ゼモグループ at 17:45Comments(0)教訓

2011年07月06日

昭和の香り

この二日の日中の天気で、梅の天日干しをすることができた。

やれやれである。

出来栄えは、上々で、手塩にかけてつくっただけに一粒一粒がとても愛しく見える。

売るのがもったいない気分にすらなる。

そういえば、「ええ塩梅」とか「手塩にかける」なんていう言葉は、
いずれも梅干し作りから派生したもののようだな。

やってみて、わかったが、梅選びから始まって、
塩加減、タイミング、
天気まで考えながらする梅作りの工程は、大変ではあるが、
出来上がった時の喜びも一塩である。

おっと、こんなとこにも塩がでてきたぜ!

いかに、昔の日本人の生活に梅作りが寄り添っていたのかが言葉ひとつからも伺える。

昨日は、久々に仕事は、完全OFFにして、梅の天日干しを見張っていたが、
退屈したので、ふと、網戸作りをしようと決意。

今までの家の生活は、年中冷暖房ガンガン生活であったが、
今年は、なるべく窓を開けるようにしている。

網戸のついてない小さな窓が6カ所あり、ここを開けたいのだが、
網戸がないので蚊の襲撃をうける。

思い立ったが吉日、コーナンへ走り、どういう風にするか材料を見ながら知恵を絞る。

規格の窓サイズでないために既成の網戸は、入らないと分かり作るしかない。

僕は、網戸張り替え用の網とマジックテープと強力な両面テープを購入し、
窓枠にマジックテープで網を脱着できるようにすることにした。

網を窓枠サイズにカットして、マジックテープの凸を縫い付ける。

マジックテープの凹は、窓枠に両面テープで張り付ける。

そんなイメージで寸法を計算し、必要な材料を購入した。

ミシンは、得意で、学生のヨット部時代は、よく破れたセイル縫いをしたもんだ。

押し入れからミシンを引っ張り出したが、使うの15年ぶりぐらいだろうか?

これが意外にも僕に苦戦を強いてくれた。

ミシンというやつは、なかなか思い通りに動いてくれないのだ。

少し進むとすぐに糸切れ、もつれ、イライラしながら汗だくになり、
悪戦苦闘して、やっと最初の1枚が仕上がるに2時間を有してしまった。

こりゃ、やってられんわ、と何回もくじけそうになったが、
仕上がりは、バッチリで、イメージ通りの出来となった。

それからミシンとの格闘、延々5時間。

なんとか、日をまたぐ前に、6枚の網を仕上げる事が出来た。

ミシンも中盤からコツをつかみだし、だんだんと楽しくなってきたころで終わった。

ミシンも思うように動いてくれると楽しいもんである。

昭和の主婦は、梅干し作りや、裁縫で時間を美しく使って、色々悟っていたんだろうな。

梅干しも衣類も手間を考えると買う方が安い時代なのかもしれないが、
手間暇にかけてやってみるのもなかなか良いもんぜよ!(WHY龍馬)

扇風機のぬるい風と梅干しの香り、ミシンの音が、
休日の僕の家に昭和の香りを思い出させた。   

Posted by ゼモグループ at 17:13Comments(0)教訓

2011年03月23日

信頼と信用

先日、小耳にはさんだお客様の会話で面白いのがあった。

「私は、あの人を信頼してるけど信用はしてないねん。」

なにやら、よくわからん内容だが、今日は少し、信頼と信用について考えてみる。

この二つを辞書で引くと以下のようになる。

信頼とは、信じて頼りにすること。頼りになると信じること。また、その気持ち。

信用とは、1、 確かなものと信じて受け入れること。
「相手の言葉を―する」
2 それまでの行為・業績などから、信頼できると判断すること。
また、世間が与える、そのような評価。

とある。

どうやら、信頼というのは、自分の判断に主体性があり、
信用とは、一般的な社会評価を加味したもののようだ。

つまり、信頼は、裏切ぎってもその人への評価の失墜が主体なり、
信用は失うと社会全般的な評価を下げることになるような感じだ。

この女性は、その人を自分は信頼してるけど、人に紹介したりはできない。

というような事をいいたかったのではなかろうか?

我が師、大山倍達も実績なくんば、証明されない、
証明なくんば、信用されない、信用なくんば、尊敬されない。
君達は、尊敬されるような人間を目指しない。
と生前によく言っていた。

信用とは、感覚的なものでなく実績に裏付けされた確かなものを指すようだ。

そういえば、銀行の融資の時の調査も信用調査とい、信頼調査とは言わない。

確かな担保や実績の裏付けがないと信用されないのだ。

一方、今回の東北のような災害時では、信用できる人より、
信頼できる人についていきたいと思うのではないだろうか。

信用というのは、社会秩序の中で、体裁も考えて作り上げ、維持している無機質感があるのに対し、
信頼には、心が通っている気がする。

生死の境目に立った時は、信頼できる人を選んで、駄目でも本望だと思いたいもんだ。

信頼できるが信用できない。

信用できるが信頼できない。

信用も信頼もできない。

信用も信頼もできる。

似たような言葉だが、ちょっと違うことに気づいたりした。   

Posted by ゼモグループ at 20:27Comments(0)教訓

2011年03月01日

がんばります。

僕は、「がんばります。」という言葉が、あまり好きでない。

「がんばります」より「やります」の方がいい。

「がんばります」という努力言葉は、できないことを想定した逃げ言葉である。

「がんばります」は、 ぜったいにできそうにない事をやるときだけ僕は使う。

宇宙までジャンプしなさい。

「がんばります。」

使う言葉の習慣はとても大事である。

ちょっとした思考の持ちようが未来を大きく変える。

「がんばります」には、できなくてもがんばった
という逃げの自分がある。

「やります。」には、
自分の精一杯をつくさなけれないけないという覚悟がある。

言葉の使い方ひとつで結果はおのずと大きく変わるのである。

僕は、がんばりますを連発する奴をあまりがんばらない奴とみている。

本当にがんばる奴は、人の見ていないところで、
黙々としているもんである。

よって、人にもがんばれとはあまりいわない。

不治の病でもう死ぬことが決まっている人には、
がんばりやとしかいってあげられないから言う。

そうでないやつには、

やるの?  やらないの?

とだけ聞く

がんばりますは、どちらでもない言葉である。

そんな理由で、僕は、「がんばります。」という言葉が、あまり好きでない。

  

Posted by ゼモグループ at 01:40Comments(0)教訓

2011年01月11日

ご利益とは?

今日は、残りえびすでお客さんの数人が笹を持って入ってきた。

そのうちの一人が数個の飾りをつけた立派な熊手を持っていた。

大阪人の悪い癖で、その熊手いくらしました?

と聞くと、いくらに見える?とホステスに年齢を聞いた時のような受け返し。

5000円くらいですかというと、1万円だったという。

どう見ても5000円やんな~~、高いと思ったが縁起もんやから値切れなかったらしい。

確かに値切るぐらいなら買わない方がいい。

なぜかそこから神様の話に花が咲く。

以前の僕なら、神様の話には、興味を抱かなかったが、
最近は、道場に通っているせいで、「神前に礼」というのを行くたびにやることと、
極真会の道場訓に「神仏を尊び献上の美徳を忘れざる事」
という一文があることもあり、以前より信心深くなってきた。

それに伴い、なぜか神社にお参りに行く機会も以前より増えている。

最近は、パワースポットとやらで、神社参りが流行っているらしいが、
僕の生活にも自然と入り込んできている。

神社の話になり、そのお客様がこんな話をしてくれた。

そのお客様は、以前家を建てたときの棟上げのために三輪神社に、
棟上げセットをいただいたそうだが、
棟上げをした次の日に隣が火事になり類焼で骨組みが全焼したらしい。

何の御利益もないがな!?と怒って他の神社を探したが、
その辺りでは、三輪神社が一番いいとのことであったので、
しぶしぶ再度、棟上げセットをいただきにあがる。

火事で燃えたことは、言わないつもりだったが、巫女を前にした時、どうしても
腹の虫がおさまらなくなって、つい、お宅の棟上げセットすぐ燃えて、
何のご利益もありまへんがなとかみついた。

すると、あるで、待ってましたとばかりに、
その巫女は、「ご家族にお怪我はありませんでしたか?と。

ないよ。

よかったですね、神様が守ってくれたのですよ。

・・・・・・。

彼は、それ以上何もいえず、再び上棟セットを買ってかえったそうな。

なかなかすべらない話であった。

  

Posted by ゼモグループ at 23:09Comments(0)教訓

2010年09月01日

お見舞い

ついに9月に突入だ。

あと日本にいるのは、4日間で、丸2ヶ月も離れる。

社会人になってから22年、日本、いや大阪を長期間離れるのは、
ヨットでグアムに渡った時の12日が最高で、
今回は、学生時代のアメリカ1ヶ月の旅を上回る長期の離島だ。

荷作りの方も着々と進み、今日は、空手を終えて、
自分の病院、知り合いのお見舞い、銀行、ドンキと駆け回る。

病院では、耳の診察を受けたが、聴力もほぼ右と同じぐらいに復活していて、
経過は良好のようだが、まだ、耳の周りにはしびれというか触ると違和感がある。

先生には、長期海外のお話をして、風邪や腹痛、
もし耳ダレが出た時の対策用の薬をたんと出してもらった。

定期的な病院通いもこういうときは便利である。

お見舞いは、知り合いの設計士の先生が脳卒中で倒れたと聞いていたので、
日本にいるうちにと、お見舞いに出かけた。

年齢はだいぶ僕より上だが、一緒に空手を習ったりした友人だ。

幸い、ぶっ倒れる前に病院に入ったので、大事には至らず、
体の障害は出かったが、言語障害が少しでていた。

ちょっと前にふぐ屋をやったり、調理師免許を取ったり、
一緒に飲んだりと元気にしていたが、今日は、見る影もなくやせ細り、
病気のおじいちゃんという感じになって、簡単な言葉のリハビリに苦戦していた。

いつまでも元気でいると思うのは、大間違いだな。

やっぱり、人生、あっという間、やれるときにやらねばな!。

  

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2010年08月08日

苦は楽のもと。

昨夜に続き今日は、涼しい朝の幕開けである。

クーラー無しの稽古もそう苦にはならない。

毎日、厳しい環境で体を追い込むと体がその環境に順応してくる。

暑さにも相当慣れてくる。

この夏を乗り切れば、相当な基礎体力が身につくと師範代が言っていたが、その通りだろう。

何事においても厳しい環境にいた方が、次に楽になるし、
楽な環境に甘んじていたら、次にしんどい思いをすることになる。

楽は苦のもと、苦は、楽のもとだ。

今、楽だな、幸せだなと思っている人は、少し厳しい環境に飛び込んでみたり、
しんどい事をしてみるといい。

その楽や幸せにさらに磨きがかかるから。

今日から甥っ子が東京から遊びに来る。

妹が軟弱に育ってるので鍛え直して欲しいと言う。

朝稽古から初めて、店の仕事も手伝わせて、僕と同じ生活パターンをさせてみる。

小学5年生には、厳しい生活となるだろう。

果たして、彼は、この苦から何を学ぶ事だろうか?
  

Posted by ゼモグループ at 15:46Comments(0)教訓

2010年08月06日

継続の心

今日もきしむ体に鞭打って、日課の朝稽古。

昼からは、ジムへ言ったが、手首がきかないと、
上半身は、胸のバタフライくらいしかできないので、ひたすら蝶に。

仕事やら負傷やらで2日サボったが、今日は、まだ、基本稽古で手首、
足の指の痛みが走り、本調子とは言えない。

しっかり休んで回復を待つという手もあるが、やらない習慣がつくことを恐れる。

続けながらうまく治していく方法を模索していくのだ。

物事を続けるというのは、立ちはだかる逆境に打ち勝つことが大事である。

道には必ず石ころが転がっているもんだ。

歩いたことのない道だからつまずくのは当たり前の事だ。

つまずいたときにどうするか!?

そこにその人の真価が問われるのではなかろうか?!

大人になって、仕事に支障をきたさぬ様にと仕事以外の事には、
無理をしない習慣がついてしまったが、学生時代のクラブ活動を思い出すと、
練習は当たり前のように毎日の放課後にあり、
怪我をしてても必ず顔を出し、できることを見つけてする。

ここで大切なのは、練習ができるか否かではなく、顔を出すという事である。

極端な話、骨折してギブスをはめていても顔を出すという気持ちが大切である。

見学だけをひたすらするのも練習のうちである。

怪我をしてできないもどかしさから学べることもあるのである。

足が動かなくても手は動く。

顔を出せば、何かしらできることを考えてする。

そういうことが物事を継続させる上で大切なことではなかろうか!

  

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